現・今岡真訪。読み同じ。
今岡といえば東出、東出といえば今岡。
ブレイクする前から好きな選手だったんですが、今振り返ってみると、まともに活躍したのって4年間しかないんですね。印象が強烈なせいか、もうちょっと長く活躍した感じがします。
2002年 .317 15本 56点 OPS.840
2003年 .340 12本 72点 OPS.865 首位打者
2004年 .306 28本 83点 OPS.865
2005年 .278 29本 147点 OPS.834 打点王
の4年間だけ。故星野仙一氏の監督就任期を機にブレイクしたといわれていますが、年だけ見るとまさにその通りですね。それではその前の野村監督のときはどうだったのでしょうか。
野村克也氏の「野村ノート」には、「こっぴどく叱ったおぼえもないのに、なぜか私の前でやる気を見ることはなかった、何を考えているのかよくわからない選手」というようなことが書かれています。ちなみにそれ以外は結構悪いことが書かれてあって、
打撃に関しては天才的
足が遅い(一番には不向き)
走塁に興味なし(一番には不向き)
守備にやる気なし(ショートには不向き)
自己中心的(という記述はないが、総合的にそう読み取れる)
といった内容でした。
ちなみにブレイク終了後の2006年に関しては、wikipediaに以下の記述があります。
2006年の春季キャンプでは打率3割を切った前年の反省から、「当てること(安打を打つこと)を目標にすれば、自然に打点も付いてくる。大事なのは当てること」と打撃フォームの改造に着手。しかし、打率は2割前後に低迷する。開幕から5番を任され続けたものの調子は上向かず、6月17日の対オリックス・バファローズ戦でウェス・オーバーミューラーから死球を受けて右手首を挫傷したこともあり、バネ指の手術に踏み切った。
引用元:今岡誠 – Wikipedia
フォーム改造に苦しむ+デッドボールによるケガが原因のようです。
この時点で31歳か32歳でまだまだやれる年齢のはずでしたが、結局これ以降調子を取り戻すことはなく引退。
ここまでパッと燃えてシュッと消えた打者というのも、意外にいそうでいないのではないでしょうか。投手だと結構多い気もしますが。まあこの辺の印象は「どの時期から野球を見始めたか」で変わるかもしれません。
「もっとやれそうなのになぜか急にダメになった打者」で思いつくのは、横浜の鈴木尚典とオリックスのT-岡田かなーと思って打撃成績を見てみたら、私が思ってたよりかなり活躍してました。
素人の印象なんてアテにならないといういい例ですね。
皆さんは適当な印象だけで語らないように気をつけてください。
↓“微”音量注意。
今岡「なめんなボケェ!」